海街市から今日は❣️

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兄の思い出 5

次の日、告別式に出席した


ホテルからタクシーで津名と言う所まで
15分か20分くらい走ったかな?
4500円程かかった
た、高い!
そう言えば兄が以前
淡路島きたならタクシーよりレンタカーが良いよって
言ってた事を思い出した
帰りもタクシー使ったから
諭吉が飛んだ
今回の旅は諭吉がバーバー飛んでいった
( 実際はカード払いが多いから後で口座からドット落ちる )


実家が遠い人ってこうなのねーと実感しました


斎場に到着して兄とご対面
その顔は笑っていた。何時もの兄の顔


少し後から来た従弟は
( 貧乏でアルバイトで生活費稼いで
  父親に苦労させられた境遇が似ている従弟 )
お兄さんは何時もニコニコしてて
怒ったり、怒鳴ったり、手を挙げた事とかないよね
と言ってきたので
怒鳴ったり手を挙げた事はないけど
大人になってここ数年前かな?
なんで自分達小さい頃はこう言う環境なんだ
苦労したなあ、と兄が呟いたことがあるよと
教えてあげた
私も親戚の他の家族が羨ましかったと教えてあげた


従弟は私達兄妹はあっち側の人だと思っていた
何時もニコニコしててあっち側の人のゆうこと聞いて
嫌だと思わないのだと思ってた
従弟一家だけが親戚から弾かれてたと思っていたこと。


だから私達兄妹は
あっち側でもないしこっち側でもないよ
生きていくために何でも言うこと聞いて
嫌われない為に何時もニコニコしてた
だって、嫌われたら居場所も帰る家も無くなるからね
たまにキツイことや嫌味や父の悪口言われても
何も言えなかった
心は悔しかったけど
顔はニコニコしてて嫌な事は聞き流すと言う
術をいつの間にか身につけていたんだよ
どっちかと言うと従弟の方に近いかな?貴方のお母さんは
親戚に仲間外れにされてたけど
私達は嫌いじゃなかったよ
会えば話があってたかもね
と言ったら
ゴメン誤解してたと言ってまた声を出して泣いていた


兄が唯一自分の意見や意志を言ったのは
瀬戸大橋の仕事のために香川に行きたい事
香川で知り合った彼女と結婚したい事


兄は長男で父親を見なきゃ行けないと解っていたけど
彼女とどうしても結婚したくて
頑張って祖母や叔母夫婦を説得したのだった


頑張って意思を貫いて結婚できた事
結婚して三人の子供に恵まれ
時々夫婦喧嘩もあった様だけど
兄は幸せだった
子供の頃から友人には恵まれ
結婚してからは
途中奥さんが亡くなって悲観に暮れていた時期もあったけど
子供達がそばに居てくれて
三人の孫にも恵まれ
奥さんの親戚にも慕われ
短かったけど、結婚してからは
幸せな人生だったと思う


従弟と話したのだけど
私達は兄の分まで
頑張って生きるよ!
だって父が遺言に
( 自分の分まで生きろ!
  21世紀に羽ばたいていけ!)
ってメモ帳に書いてあったもの!😕