海街市から今日は❣️

糖尿病の事 時々愛犬の事 日々の生活 夫の愚痴も

2018年は

2018年は、大きな出来事もなく、週2回夫の実家に行って、買い物、昼食はいろいろな所でランチ、月に1、2回病院へ行くという日々を過ごしていました。


この時に糖尿病の治療を再開していれば、糖尿病網膜症になっていなかったかも知れません。
最初に通っていた脳神経外科の先生が嫌で
(予約した時間からいつも2時間近く待たされ、診察室に入っても10分近く来ない!診察は5分もかからず終わり!)
自分にも自覚症状がなく、まだ大丈夫だろうと思って、行きませんでした。


この年の夏は寒暖差が大きくなった日が度々あった年だと思います。
私はその度に体調が優れなくなり、起き上がるのがやっと、ご飯も食べれなくなり、合計5キロほ程痩せました。
レトルトの梅がゆが美味しかったこと!マグカップが片手では手が震えて、両手で持ったことを思い出します。


私は病院嫌いで、この時も歩いて行くなら寝ていたい。何でも糖尿病のせいに言われるのは嫌だなあー、と思い病院には行きませんでした。


この年の2月、車の運連を始めました。
30才の時運転免許を取得しましたが、一度も公道を走ったことがなかったのです。
ペーパードライバーです。


あれほど私のことを、運動神経が悪いから、ドジで間抜けだから運転はするなと言っていた夫が、「実家にバイクで通うのは危ないから、軽自動車に買い替えるから、車で行ってくれ」と、申し出がありました。


私は運動神経が悪くないですよ!


運転の練習は、出張講習してくれる先生に頼みました。4日間1日3時間だったかな?
丁度その頃TVで、主婦のペーパドライバーの事を特集で取り上げていて、すぐネットで検索、電話で予約してすぐ来てくれました。


大変良かったです。5万円位かかりましたが、夫に教わっていたら、ケチョンケチョンに言われて、挫折していたかも。
いきなり公道を走る、自分の車で、いつも行くスーパーへ行って車庫入れの練習、実家まで行きました。講習終わってから毎日近所を走りました。運転は楽しー!

姑のこと

2016年姑は認知症と診断されました。


2年前ぐらいから、姑は耳が遠くなっていました。大きな声で話せばわかるというレベルでした。
2015年の秋頃から異変が始りました。
洋服に食べこぼしのシミがあっても着替えない。
舅が買い物に行こうと誘っっても行きたくないと言う。
補聴器を買っても面倒だから着けない。
私や小姑の前では、ニコニコして大人しくしているのだけれど、舅と二人になると我が儘をいい、癇癪も時々起こしていたらしいです。
舅からSOSが来て、小姑と一緒に認知症外来を受診しました。


それからは介護認定申請したり、ケアワーカーさんを決めたり、デイサービス所を見学したり、あっと言う間に春になっていました。


その頃私は、週3日近くの老人ホームにお掃除のパートに行っていました。
空いている1日か2日、自宅から原付バイクで30分、夫の実家に行っていました。
その頃はまだ車の運転ができなかったので、
バイクで通っていました。


そんな日々が始まって、この年の初めから自分の通院がタイミングを失い、行かなくなりました。糖質制限もどんどん崩れていっていました。パートも親のお世話をしようと思い10月末に辞めました。


11月、姑は風邪をこじらし、病院へ行ったら、急性間質性肺炎と言われ、即入院しました。一ヶ月入院、退院して今度はインフルエンザに。入院は出来なかったです。
同時に舅もインフルエンザに。
小姑と交代で夫の実家に泊まり、看病しました。


インフルエンザの嵐が過ぎ去ったと思ったら、姑が高熱を出し即入院。
12月末、姑は息を引き取りました。


それからは、お葬式にいろいろな法事が続き、その合間に舅の日常生活の支援。
あっと言う間に一年が過ぎました。

リハビリ

私は右半身が麻痺しました。
発症してからすぐ、家事をしなければならなかったので、すぐ動き出したのがよかったのかわかりませんが、右足を引きずりながら、食器を片付けたり、二階に上がったりしました。二階から降りてくる動作は、二週間ぐらいはお尻をついてゆっくり降りていました
右手は暫く端が持てなくて、フォークを使っていました。なるべく右手を使いました。
洗濯を干す時、洗濯バサミがつかめない。腕が肩から上に上げるのが辛い。
でも”リハビリ!リハビリ!“と思って頑張りました


買い物は、一週間位は、お弁当やおかずを夫や子供に買ってきてもらいしのぎました。
それからは週末に買いだめ、足りなくなったら、仕事帰りに何か買って来てもらう、という生活が3ヶ月くらい続きました。


病院の先生も「普通の生活がリハビリ!」私もそう思いました。
大変だったのは、犬の散歩。
我が家の犬はゴールデンレトリバーのメス、当時2才。トイレのしつけは家の外。
夫は朝早く出勤するので、最初は家の門の外に私は座って、伸びるリードでフラフラさせてやっと大をする。
夜夫が帰ってきたら30分位散歩に連れて行く。そのうち段々右足が上がってくると、30分位の散歩に行く。家の周りは坂が多くて、犬に引っ張ってもらってました。
ある時傘をさしたら、ヨレヨレしてしまい、可笑しくて笑ってしまった事を思いだしました。


言語もゆっくり話さないとロレツが回らなくなりました。でも、元々ゆっくり喋っていたので、周りはわからなかったみたいです。
そんな生活は、3ヶ月位続きました。半年も経つと他人から見ると、脳梗塞になったなんてわからないくらい回復していました。
だけど自分的には今でも、10歩のうち1回はズルッと右足を引きずり、右手は握力が落ち、ペットボトルをやっとのおもいで開けます。
顔がバランス悪くなりました。左側が少し下がっています。
夫の妹、つまり小姑が「気にならないよ。足も気がつかなかった。」と言ってくれます。彼女は心に思った事、ズバズバ言うタイプなので、そうなんだと少し安心しました。


今思えば、私は軽かったのだなと、思います。でも頭の中には脳梗塞の跡がハッキリ丸く残ってます。あれから7年以上経ちますが、一度も脳梗塞は再発していません。