海街市から今日は❣️

糖尿病の事 時々愛犬の事 日々の生活 夫の愚痴も

兄の思い出 1

1月2日 実兄が亡くなった


12月30日 脳梗塞を起こして救急搬送
懸命の治療のかいもなく
眠る様に逝ってしまった
兄の所までは私の家から
急いでも6時間はかかる
容態が落ち着いたら行こうと3日の日から
一泊で様子を見に行こうと思ってた
血圧を上げる薬など投与して
延命治療していた
きっと私に合わせる為?
家族がお願いしていたのかもしれない


私も電車一本で行けるところなら行きたかった
そこは何回も乗り換えて行かなければ行けない所
もう血圧が下がってきてダメかもと連絡があった時は
辛い決断だけど
もう無理をさせないでと言ってしまった


65歳 短い人生だった


兄は9歳の時に母を亡くした
それまで初孫の長男として大変可愛がられ
小さい時から沢山お稽古事に行かされてた
幼稚園も多摩川を渡った東京の
有名な音楽幼稚園に行っていた
( 私は近所の公立の幼稚園よ )
兄が帰ってくると待ってましたとばかりに
近所に住んでいる従弟と私の三人組で
近所の三角公園や多摩川の河原で遊んだね
あんまり覚えていないけど
家族四人や母の兄弟達といろんなとこに出かけたね
どの写真も皆んな笑顔で、幸せな時代だった


9歳の時に母が亡くなって
母の実家に住んでた私達はそこを出て行った
兄は父の兄の家に居候
厳しく躾けられて
私が預けられてた父の実家に来ると
冬は手があか切れで、血が出ていたね
お婆ちゃんが桃の葉クリームを渡していたのを覚えている
辛くて淋しかっただろうに
泣き顔も見せず
マンモス団地生活の事、友達の子
沢山話してくれた
たまに三人が ( 父、兄、私 ) 集合すると
お父さんの車で
東京タワーや羽田空港へ遊びに行って外食して
夜景が綺麗だったね。楽しかった
今でも鮮明に覚えている思い出


兄は小学校5年生ごろから
父と二人暮らしを始め、貧乏だったから
生活の為に新聞配達をしてた
お小遣いでなく生活の為、食べていく為
辛いなんて言った事なく
いつもニコニコして頑張ってた
そんな中から私の誕生日に
リカちゃんハウスを買ってくれて
とっても嬉しかった。ありがとう


高校生の時も自転車で通えるからって
近くの公立の高校へ進学して
アルバイトしてたね
バイト代少しずつ貯めて
チョット高級な自転車買って
遠くにサイクリングへ行っていたね
夜遅くなかなか帰ってこない時は心配したよ


バイトも色々な事やっていたね
新聞配達、飛行機の窓拭き
大学時代はゴルフ場のキャディー
土木の肉体作業など
その度に面白そうに体験談を話してくれて楽しかった
キツイけど決して辛いとは言わなかった
大学時代は忙しい合間に
サッカー部に入って
東海リーグの下の下の方だけど
グループリーグで優勝したよって
嬉しそうに話してたね
キーパーやってたよね


その大学は富士の裾野の方にある
建設大学校。学費が安くって全寮制で
いろんな人が学んでいて
社会人から入ってくる人
東南アジアの島を幾つも持っている
お金持ちの留学生
現役組は学費が安いので
手に職が身につけられるから
苦労してる家の子も居て
自分だけが特別じゃないんだって
知ったところだよね
自衛隊の人と樹海のサバイバル行進の事
いろんな人たちの様子を聞くのは面白かった


つづく